福岡県福岡市中央区唐人町にある町の一角にひっそりと佇む八橋神社。
実際に参拝をし、どのような神様が祀られているのか?や祭事はあるのか?
こちらの記事でまとめました。
地域の皆さまに大切にされている神社だと分かりました。
八橋神社とはどのような神社?
施設名 | 八橋神社(やつはしじんじゃ) 別名:八ツ橋稲荷神社 |
種類 | 神社 |
建立 | 天明(1781年~1789年)伏見稲荷大社より、歓請。 |
住所 | 福岡市唐人町3-2-6付近 |
総本社 | 伏見稲荷大社(京都府京都市伏見区) |
ご祭神 | 宇迦之御魂神(ウカノミタマ) 別名:倉稲魂命 |
ご利益 | 商売繁盛・五穀豊穣 |
参拝形式 | 二拝二拍一拝 |
祭事 | 2月 初午祭 |
町を守る火伏せの神様として大切にされている
八橋神社はかつては鳥飼八幡宮(福岡市中央区今川2-1-17)の境内に祀られていたとも言われています。
明治44年(1911年)に鳥飼八幡宮から現在の地に移りました。
八橋神社は商売繁盛・五穀豊穣の神様ですが、なぜ火伏せの神様と言われているのでしょうか?
言い伝えがあるようで、枡小屋町(唐人町2丁目付近)で火事が起きました。
大きな火事だったようですが、突如風向きが変わり、唐人町の全焼は免れたとのこと。
その後、明治15年(1882年11月)には隣町(現在の黒門)でも火事が発生した時も強風であったにも関わらず、大惨事にならずに、鎮火したと言われています。
また昭和に入り、第二次世界大戦の戦火にも遭わずに町が残り、今日にいたっていることから、火伏せ(火魔除け)の神様としても地域の皆さまに大切にされています。
2月に初午祭が行われる
初午(はつうま)とは、2月の最初にある午(うま)の日を表します。
そのため年によって初午の日付は変わります。
初午祭は五穀豊穣を祈るお祭りです。
総本社の京都伏見稲荷大社に神様が降りた日が和銅4(711)年の初午の日だったといわれていることで、初午の日にお祭りをするようになりました。
八橋神社の神事はもともと鳥飼八幡宮の境内に鎮座していた関係で、鳥飼八幡宮の宮司が執り行います。
福笹や干支の置物の授与、豚汁のふるまいなどがあり、賑わいます。
コロナ禍により、近年は中止されているようです。
福岡ソフトバンクホークス優勝祈願祭が行われる
毎年春に八橋神社では、福岡ソフトバンクホークスの優勝祈願祭が行われているようです。
鳥飼八幡宮の宮司さんが祝詞をあげ、優勝を祈願し、玉串を捧げます。
福岡ソフトバンクホークスの本拠地のpaypayドームの最寄り駅の唐人町ならではですね。
八橋神社のアクセスは方法は?
八橋神社は地下鉄空港線唐人町駅の4番出口から徒歩2分のところにあります。
以前、参拝した唐人町の正光寺からの順路ですと正光寺を右に出て、路地を南に進みます。
当人小学校の裏門を通り越し、十字路に出たら、右に曲がります。
そうすると右手に鳥居が見えますので、そちらが八橋神社です。
八橋神社の隣には西学問所・甘棠館跡地がある
西門学所・甘棠館とは1784年に七代藩黒田治之により、東(修猷館)と西(甘棠館)の2つの学問所が同時に開校されました。
その一つの西学問所・甘棠館がかつて唐人町にあり、八橋神社の隣にひっそりと案内板があります。
初代甘棠館の館長は儒学者で医師である亀井南冥(かめい・なんめい)で、彼の講義を受けるため、志を持った人たちが多数集まり、学館は生徒で溢れていたと言われています。
亀井南冥は甘棠館館長になった年に志賀島で発見された「漢委奴国王」金印に対して本物であり、歴史的に重要なものと訴え、「金印弁」を著して、金印の保護をしたことでも有名です。
まとめ
唐人町の八橋神社が商売繁盛・五穀豊穣の神様を祀られていて、地域の皆さまには火除けの神様としても親しまれていることが分かりました。
また八橋神社の隣には、大人気の学問所・甘棠館の跡地があったりと唐人町の歴史を感じられること箇所があることも分かりました。
唐人町に来られた際にぜひ行かれてみて下さい。